駄文がまた始まります。1980年春。Tさんのこと・・
- 2016/1/29
- コラム
1980年の元旦で終わっていた、私の駄文をどういう訳か読んで頂いている方がいらっしゃるとのこと。
徒然なるままに勝手に書いてきたが、1980年から再開しようと思い立った。
私にとって1980年は激動の年となるのだが最初は私が居た高円寺の下宿の先輩の話を書くことにしよう。
1980年春、上京した私は下宿の先輩(Tさん)から本を読むことの重要性を指摘された。
Tさんは薩摩とは縁深い長州(山口県)萩の出身だ。
山口の名門「萩高校」をトップの成績で卒業して、日本の私立大学文系の最難関W大のS学部の3年生だった。
他の下宿の先輩は勉強とは程遠いところにいたが、Tさんだけはよく本を読んでいた。
「この本を読んだら」と声を掛けられ「はい」と返事はした。
その本はジャン・ルイ・シュレーベルの「第4の権力」の日本語版だった。
相当分厚い本で、私はうかつにも「枕に丁度いいですね」と冗談を言ったがTさんはにこりともせず「時間がかかっていいから、読んだ方がいい」と言った。
デモなどにも参加していた私にとって権力とは機動隊だったがなぜか知らないが読んでみことにした。
私は三流私立文系の経営学部で難しい本といえば、講義で使用された、サムエルソンの「エコノミクス」ぐらいだ。
当時は近代経済学とマルクス経済学の2つの経済学の大きな柱があり1時間目が近代経済学の講義、2時間目がマルクス経済学の講義だと教授の意見が全く違った。
1時間目でいいとされたことが、2時間目になると否定される。
教授はどちらも日本最高学府T大学の出身だ。
私は講義の内容より、どちらも頭のいい教授だが意見の相違はあるものだ。
「そうか、人生は違う意見に満ち満ちておりそれで成り立っている。かえって1つの意見が絶対正しいとすることの方が危険だと、そうか、いろいろな意見や立場がありその微妙なバランスで社会は成り立っているんだな」と、この2つの講義で学んだ。
講義の内容や経済学の内容はすっかり記憶にないが、今でも対立する意見がありそれで社会は成り立っていると思っている。
「いろいろありますよ人生は」なのだ。
いかん、また話しが逸れた。
下宿の先輩Tさんの話しだった。
勉強熱心で真面目なTさんだが面白いところがある。
当時のアイドル岡田奈々さんの大ファンなのだ。
ある日「岡田奈々さんのミニ握手コンサートが新宿の京王百貨店の屋上であるので一緒に行こう」と言うのだ。
当時はまだ岡田奈々さんも百貨店の屋上で営業をするようなアイドルだった。
そののち大ブレイクして現在でも芸能活動をされている。
私は当然、興味はないし、アイドルと握手をして何が面白いのかと思った。
聞けば握手ができるのは岡田奈々さんの本を買った人だけだという。
1冊購入して1回握手ができるとのこと。
Tさんの作戦はこうだ。Tさんと私が1冊づつ本を買い、Tさんが2回握手をするとのこと。
実に姑息なやり方だが、Tさんは至って真面目だ。
私は新宿なら定期で行けるし(市ヶ谷まで中央縁・総武線で通っていた)「いいですよ」と答えた。
当日は小雨ながら相当なコアなファンが京王百貨の屋上にいた。
ミニコンサートが終わった。(確かに近頃のアイドルにはないオーラがあった)
ファンは順番に本を買い、サインをもらい、握手をした。
私は握手をする気はなかったが、行きがかり上握手をした。
その後、私とTさんは高円寺のジャズ喫茶に行った。
難しい顔をした学生がコーヒー1杯で3時間は粘るジャズ喫茶だ。
スイングジャーナルや朝日ジャーナルなどを読み、ジャズを聴くそんな場所だ。
Tさんは難しい本をたくさん読んでいるが、今は岡田奈々さんのサイン入りの本2冊を手に入れ満足している。
どうも「岡田奈々さんの本」と「第4の権力」が結びつかない。
これもいろいろあると言うことか。
「2冊も買って、どうするのですか?」と尋ねると、本当のファンだからと答えた。
理論派で真面目なTさんにしては全く理論的ではない答えだ。
その後毎日のようにTさんと話したが、岡田奈々さんの話しの時だけはTさんではなかった。
Tさんは大学を卒業して政府系の金融機関に就職した。簡単には入社できない金融機関だ。
Tさんは給料日になると、私を四谷に呼び出した。
会社が近いので四谷と思っていた。お金のない学生にいろいろ御馳走してくれた。
銀座のスエヒロでステーキなどを何回か御馳走になった。
ある日Tさんは「今学校に通っている」といった。
意味がわからないが、聞くと就職した政府系の銀行から選ばれ1年間、語学と金融の勉強をしているとのこと。「勉強ができて、給料がもらえていいよ」と言った。
四谷での待ち合わせの意味がわかった。Tさんは四谷の難関J大学で学んでいた。
将来は金融機関の幹部になるのだろうと思った。
その後Tさんは転勤で福井、広島などを転々としていた。
私も故郷でサラリーマンを始めた。
1回だけ私の故郷にTさんが車で来られた。
ドライブが好きで、枕崎から坊津を回り加世田へ出た。
Tさんとは年賀状のやり取りはしていたがそのうち消息不明となった。
私も結婚して娘が生まれサラリーマンとして忙しい時を過ごした。
長州藩の大河ドラマがTVでありTさんのことが気になった。
学生時代は夏休みにTさんの故郷萩で1週間ほど過ごして帰郷するパターンが続いた。
萩・松下村塾などが出てきてTさんのことが気になった。
Tさんの実家は○○会社を経営されていた。弟さんがいらっしゃるとは聞いていた。
萩の商工会議所に連絡して○○会社を捜したがすでに廃業されていた。
何とか調べることはできないかと萩の商工会議所に電話をしたとき、その場にたまたま
Tさんの弟さんがいらっしゃると聞いた。
電話に出た弟さんにTさんに東京で大変お世話になった旨を伝えTさんの連絡先を聞こうとした矢先、耳を疑った。
「Tは亡くなりました」と弟さんが言った。
「え、・・・・」Tさんは私より2つ上だからまだ56歳だ。
それ以上のことは聞けないまま電話を切った。
人生いろいろあるが、生きていないといけない。そう思った。
Tさんは私の学生時代の下宿の先輩として忘れられない人となった。
その後、私はTさんとの約束の本「第4の権力」を読み終えた。
以下
ジャーナリズムは、かつて「第4の権力」と呼ばれていた。
立法、行政、司法の三大権力の暴走をチェック・監視し、客観的に批判・検証する役割を自任し、それに期待する国民の要望に応える一定程度の役割を果たしてきたからである。
しかし、いまやジャーナリズムはそうした輝かしき座から滑り落ち、三大権力に次ぐ、もしくはそれを補完する存在になりつつある。
文字通り、「4番目の権力」に転落しようとしているのである。
Tさんの反骨精神が私に読ませたのだろう。