騒然としていた1970年代後半、東京にて。
- 2015/10/3
- コラム
秋は学園祭の季節だ。
長い「夏休み」を過ごして、上京するとすぐ学園祭に入る。
学園祭は3日間あるのだが、準備などもあり1週間は授業も休みになる。
いや休みだと勘違いしていたのかも知れない。
学園祭シーズンも友人はゼミに通い勉強をしていた。
その友人は後に、弁護士になり東京で活躍している。
私は将来のことなど考えもせず学生生活を送っていた。
大学の学園祭を初めて見て驚いた。
高校時代は出店があり、団子や綿菓子などを売り、各部活で発表会などをやっている。
文系の発表会が多い。
地理倶楽部、物理倶楽部など実にマイナーな部活があり、学園祭なのに見学者がいない。
そんなとことを見て回るのが好きだった。しかも1日で授業時間だけだ。
地理倶楽部などは山の地図(色がついていない無地の地図)を見て真剣に話している。
こんな感じの高校の学園祭しか見たことがない私が大学の学園祭を見たのだから。
驚き、なんと幼い自分なのか自問自答した。
各部が発表会をするのは同じだが、3日間泊まり込みで開催だ。
もちろん酒は飲んでいる。
学生会館で映画があると言うので友人と行った。
そこは実に騒然としている。所謂、反体制の場となっている。
今の人にはわかりにくいだろうが、すべてが反体制なのだ。
反自民、反アメリカ、反ベトナム、反体制なのだ。
学生会館は完全に自治会が牛耳っているのでそれはすごい。
噂では公安(公安警察)が張り込んでいると聞いた。
それだけで緊張感があふれる。
先輩は「ここにはいろいろなセクトがあり、収拾がつかないが、学内は自治権があり心配ない」などと物騒なことを平気で言う。
映画がまたすごい、ピンク映画と言われるどぎついものから、
大きな映画館では絶対お目にかかれないATG(アートシアターギルド)系の映画をやっている。
女子学生も平気で酒を飲み、タバコを吸い、ピンク映画を見ている。
ピンク映画は当時、普通の社会では受け入れられない映画でなんとなく虐げられ、社会悪の代表だが、
反体制的な学生にとっては反体制を象徴するものとして支持を受けている。
私は朝まで映画を見て、朝からその場で寝た。
昼に起きてまた1日を学内で過ごす。
私は、なんだこれはと思いながらも満更でもなかった。大人になれた気がした。
一人で生きていけそうな気がした。2年前に亡くなった父を思いだした。
東京だ。これが大学だ。このざわざわ感が心地よかった。
学園祭が終わるともう冬だ。
南国育ちの私には東京の冬は堪えた。
将来に対する不安より今の現実が重かった。
私は21才を迎えようとしていた。