1978年東京、高円寺 銭湯 懐かし人
- 2015/10/31
- コラム
1978年東京、高円寺の冬はいつもにまして寒かったらしい。
南国育ちの私は炬燵で勉強をして、炬燵で食事をして、炬燵で寝た。
富山出身の○○さんとは大学は違うし、倶楽部も違ったが妙にウマがあった。
私は2年遅れて大学に入ったので3年生の○○さんとは同級生だが、1年違えば先輩だ。
○○さんは冒頓としてあまりしゃべらないタイプ。学ランで大学に通っていた。
○○さんとよく野方の定食屋「せきざわ」にも出かけた。
私はいつものA定食だが、○○さんは野菜炒め定食だ。
体格もよく合気道部の所謂、体育会系の人だが、「なぜいつも野菜炒めを食べるのですか?」と聞くと、野菜不足は体に悪いと真顔で言う。
酒を浴びるほど飲む方が健康に悪いような気がするのだが。
「そうですかと」と私は笑いをこらえて返事をした。
○○さんとは銭湯にもよく行った。
今の大学生は昔の私の下宿に比べればホテルのようなところに住んでいると思うのだが。ワンルームマンションが主流ではないだろうか。
時代の流れなのでそれはいいとして、銭湯に行ったことがない人にはわかりづらいかも知れない。
私の故郷は南国で銭湯のほとんどが温泉だ。
東京の銭湯は温泉ではなく所謂、湧かし湯だ。
営業時間も午後3時半から午後11時ぐらいまでで各街に銭湯が残っていた。
○○さんは定食屋のせきざわに近い銭湯を好み、行く時はよく声をかけてくれた。
「おい、行くぞ」と野太い○○さんの声がする。
○○さんは銭湯に行く時は、タオルだけで出かける。
私は牛乳石鹸とシャンプーを持ち出かける。
圧力なべの○○さんにはずいぶんごちそうになっていたので銭湯では○○さんは私の石鹸やシャンプーを自由に使う。
あの美味しい富山の米に比べれば牛乳石鹸など安いものだ。
湯船に入るスチールドアを開けて中に入った。
まずい。私は一瞬で事の真相がわかった。いかんこれは「や○○さん」の一団だ。
今は法律が整備され「や○○さん」もやりにくいのだろう。
しかし当時は・・・・・
状況はこうだ。
一番風呂に入りたいらしい「や○○さん」の一団と数名のお客さんがいる銭湯に入ってしまった。
私はドキドキした。しまったいつもの時間にくればよかった。
ここはできるだけ早く風呂からあがることだけを考えていた。
今日はシャンプーを下宿に忘れたし、さっとあがろうと考えた。
だが、次の瞬間、私は隣でいつものようにシャンプーを勢いよく頭にかけ頭を洗っている○○さんを見た。
○○さんは「おい、いつものシャンプーと違いスースーするな」と私に話しかける。
私は回りを見た。私はいつも持ってくるシャンプーをその日は下宿に忘れている。
しかし○○さんはシャンプーをいつものように使っている。
まずい、誰のシャンプーだ。いかん。
○○さんの右隣の「や○○さん」のシャンプーを勝手に使っている。
私のいつものシャンプーと間違っている。まずい。
私は○○さんに言うのだが、シャワーの音で聞こえない。
「や○○さん」のシャンプーを勝手に使っている。
どうなるのだろう。
ここからが不思議だ。
「や○○さん」のシャンプーを使い平気でいる○○さん。
心配でしょうがない私。
しかし風呂からあがると、「や○○さん」が話しかけてきた。
「にいちゃん達、コーヒー牛乳を飲めよ。と一番若い「や○○さん」が言い2本のコーヒー牛乳を差し出した。
私はドキドキしている。○○さんは「頂きます」といっきに飲んだ。
私も震えながら飲んだ。
○○さんは平気顔をしてコーヒー牛乳を飲み「や○○さん」と話している。
それから何事もなく銭湯をでて下宿に帰った。
しかし不思議だ。
私は「や○○さん」に何か言われる、いやひょっとすると殴られるとその時思った。
その後、何かの折に○○さんに聞いた。
「怖くなかったですか?なぜ平気でいられたのですか?」
○○さんは一言「や○○さんも、人間じゃないか?普段の目線で見ることは大切だ」と
諭すでもなく言い放った。
富山の○○さんは卒業後、富山県庁に就職した。
37年経つが、一度も卒業後、会っていない。
一度尋ねたいと思っている。
私ごとながら10月31日で長く勤めた会社を退社して、このホームページの
鹿児島・天文館・いづろ商店街振興組合で働くことになった。
今までいろいろな人との出会でここまでやってこれた。
決して1人ではできなかった。
本当にお世話になりました。
これからもよろしくお願い致します。
このつまらないコラムはまだ続く予定だ。
感謝。