1980年、夏祭り・・・1980年の夏は一度しかない
- 2016/7/23
- コラム
私の故郷には「おぎおんさあ」と言う大きな「夏祭り」がある。
中心街を御神幸行列や各通り会の神輿などがねり歩き、なかなかの賑わいを見せる。
夏の一大イベントだ。
日本には各地域にそれぞれの「祭り」があり、その土地の気候・風土に永年培われてそれぞれに味わいがある。
1980年の夏、私はバイトに明け暮れたが、私の友人で福岡
(いや博多と言わねばならないらしい)出身のN君のことを書くことにしよう。
N君は1年生の時、語学の教室で隣どうしになって以来の友人だ。
大学では第二外国語を2年まで選択するだが、最初フランス語にするか、ドイツ語にするかで迷った。
英語もおぼつかないのに第二外国語を選択しないといけない。
私は違う友人の「フランス語のほうを女子学生が多く選択するのでフランス語がいい」
の一言でフランス語を選択した。
語学の最初の授業で驚いた。
45人いるフランス語の選択者はすべて男子学生だった。
他のクラスでは女子学生がいる教室があったらしいが私の教室は男子学生のみだった。
週に4時間あるフランス語の時間は大変だった。
英語は現在、過去、過去分詞と1つの動詞が変化するが、フランス語は1つの動詞が主語によって変わる。
すなわち1つの動詞を主語の違いによって使いわけないといけない。
この動詞を覚えるのが大変だった。
フランス語の教授は、「フランスでは赤ん坊でもフランス語を話している」などと何とも
説得力のないことをの賜れる。
N君とは同じ九州出身と言うこともあり仲良くなった。
現在、私はフランス語のすべてを忘れた。
しかし語学と体育だけは授業に出ないと卒業の単位がもらえないと先輩から聞いていた。
この辺は真面目なのだ。私は語学と体育だけはしっかり出席した。
3年に上がるとき、語学と体育の単位が足りず3年に上がれない学生が私のクラスで45人中9人もいた。
N君と語学だけは出席していてよかったと話したものだ。
さて、N君はテニスサークルに所属していた。同好会と言うらしい。
1年生はテニスコートを確保するのが仕事らしい。聞いた話しではこうだ。
大学にはテニスコートはあるが、そんなに広くはないし、テニス同行会だけでも3サークルあるらしい。
なので1年生は例えば、新宿区のテニスコートで朝から並び予約をとるらしい。
人口の多い東京のことだ。テニスコートの確保が大変なのだ。
いや、祭りの話しだった。
N君は博多の出身で所謂「やまのぼせ」だ。
九州の人ならご存知だろうが、博多の夏祭り「博多祇園山笠」の担ぎ手だ。
山笠でも一番伝統のある櫛田神社の近くに生まれ育った。
だから山笠の季節はとにかく山笠なのだ。
見ていても迫力があるし、地域や繋がりなどが薄くなっていると言いながら、
博多の人は山笠なのだ。
夏7月に入る前から準備がはじまる。
7月は丁度、大学では夏休み前の前期試験だ。
語学や体育は出席で単位が取れるが、他の教科は90分の記述式だ。
次の日が経済学原論に記述試験の日だった。
N君は急に試験は受けられんようになった。と言う。
「え、でも追試になるぜ」と私。
「いや、かまわんけん」「いかないけん」と言う。
すなわち、山笠で大切な日らしい。
N君は新宿の高速バス乗り場から福岡(いや博多)行きのバスに乗った。
「山笠があるけん、博多たい」この一言だった。
その後N君は追試を受け、なんとか4年で卒業できた。
卒業するとN君は東京が中心の銀行に就職した。
その辺の地方銀行よりはるかに大きな銀行だ。
山笠には出ているのだろうか?
銀行を休んでまで出ているかもしれない。
いや銀行はとっくにやめて、博多に帰り生活しているかもしれない。
「山笠があるけん、博多たい」と言うようなところが、今の私にはあるのだろうか。
N君とは卒業以来会っていないが、元気で「山笠があるけん、博多たい」と言っている気がしている。
日本の「夏祭り」はいい。