2018年11月22日 佐世保へ行った! 満月が見たこともないように大きく輝いていた!

2018年10月10日に開催した、

「第2回鹿児島県まちゼミフォーラムin天文館」

まちゼミフォーラムin天文館

でゲストとしておいで頂いた、長崎県佐世保市の竹本慶三さんのところに、お礼も兼ねて出かけた。

11月22日、午後3時半に鹿児島を出発。高速で約400km5時間の道のりだ。

私の軽自動車は大丈夫かとは思ったが、オイルをこまめに変えているし、

点検をしているので大丈夫だろう。

高速はパーキングエリアがあるので休み休み行くこととなった。

佐世保と言えば個人的には3つのことが心にある。

まず1つ目は、1960年代になるのだろう。「エンプラ事件」だ。

このようなことは現在の大学生や若者は知らないだろう。

1970年後半から1980年前半にかけて学生時代を過ごした私もこの

「エンプラ事件」は大学の先輩から聞いた。

当時は学生運動が日常的にあり、アジ演説やアジビラが校内で平然とある、

何かざわざわした学生生活だった。

あるセクトの先輩がこの「エンプラ事件」のことをよく話した。

佐世保は軍港であり、当時アメリカの「エンタープライズ」という空母が

寄港することを阻止しようとした、

反代々木系の学生が全国から集まり入港阻止運動を激しく行った。

この辺のことはこれ以上書いても多くの方にはわからない。

しかし、学生時代にこの事件を熱く語る先輩を忘れることはできない。

2つ目は、第75回芥川賞を「限りなく透明に近いブルー」で獲得した、

作家「村上龍」さんが生まれた場所が佐世保だ。

20代前半で芥川賞をとった「村上龍」さんはその後「コインロッカーベイビーズ」や

「半島を出よ」など問題作を発表して現在は、TVのMCを含めて、多方面で活躍している。

「限りなく透明に近いブルー」の誌的でありながら過激な作品は

当時芥川賞に値するのかと反対の声も多くあった。

「限りなく透明に近いブルー」の舞台は佐世保ではなく、福生だ。

私はこの本を西武新宿線の野方にある本屋に3日間かよい、立ち読みで読み切った。

今は出来ないが、本屋の店主もおおらかだったのだろう。

3つ目は「佐世保玉屋」さんだ。

私の前職は百貨店であり、九州百貨店協会の会議などでよく当時の

佐世保玉屋さんの食品部長や担当者と意見交換を行った。

佐世保玉屋さん
   屋上
  懐かし風景です。

地方都市でありながら、売り上げ規模が大きく、なぜそんな売り上げが出来るのか不思議だった。

長崎県は長崎市と佐世保市の距離があり、完全に商圏が北と南で分かれていたのだろう。

九州百貨店協会では、おかげ様で大きなネットワークが出来て今でも話している。

佐世保からの帰りは、佐賀玉屋さんにもお邪魔した。

この3つのことで、佐世保は私の好きな「街」だった。

商店街の仕事をするようになって、3年が過ぎた。

その中で、人口が30万人に満たない都市の中心市街地の商店街が

とても賑わっているところが佐世保だと聞いていた。

当日は午後9時に無事、佐世保のホテルに到着。

ホテルの周辺は、繁華街で休みの前とのこともあるのだろう。

外人さんも含め賑わっている。

やはり雰囲気が軍港をもつ佐世保らしいのだ。

宴会に出て、午後11時にはホテルへ。

ホテルの窓からは、佐世保港に停泊している軍艦らしき姿が黒く見えた。

その前は佐世保公園となっており、月明りで木々が照らされ11月の下旬の

寒い空気と相まっていいコントラストだ。

ゆっくり眠り、ホテルの朝食を食べて、

午前10時商店街が店開きをするころには、佐世保の商店街を歩いていた。

あの「レモンステーキ」だ!

ながく伸びるほぼ一直線のアーケードの商店街は、実に賑わっている。

勤労感謝の祭日ということもあるが、イベントをやっているのだ。

この切れ目ないイベントは単なる商店街だけがやるのではなく、

多くの団体、グループ、学校などなどを巻き込んだイベントで、アイデアにあふれ、

何より一人一人が楽しんでいる。

手書きの告知黒板

「まちゼミ」もそうだが、「まずは自分が楽しむ」ことが最重要だ。

午前11頃に、竹本慶三さんのお店にお伺いした。

お時間を頂き、「させぼ四ヶ町商店街協同組合」の事務局で

竹本さんとお会いして、1時間お話を直接お聞きした。

有難い!

事務局長の北山さんとも名刺交換が出来た。

竹本慶三さんと話しながら、確かに佐世保の街は、地形がコンパクトに出来ていて

JR佐世保駅とその反対側に三セクの鉄道の駅があり、

アーケードを自然と人が歩く構造になっているし、

商店街の各店舗も全国チェーンの店舗ら歴史ある地元の店舗まで多種多様な店舗があり、

3世代に対応した店舗構成になっている。

 きらきらフェスティバ
  島瀬公園

もちろん物販店舗だけではなく、病院、介護、教育、などなど

「街」としてそこで生活できる多様な機能をそれぞれが分担していることで

エリアの価値を高めている。

そこに切れ目のない、集客(楽しいがコンセプト)をするイベントを楽しんでいる「人」がいる。

このことを継続して実施している。

ここが佐世保の「さるくシティ403アーケード」に「人」が集う原点なのだろう。

人口の大小でも、行政の力でも、大型店の力でもない、街が好きで「楽しみたい」という

市井の「人」の一人一人がこの商店街を支えている。

第23回「きらきらフェスティバルin SASEBO」

で島瀬公園を中心に楽しそうな「人」「人」で賑わっている。

きらきら1

きらきら2

竹本慶三さんと話して、一番教えられたのは、数人の仲間が楽しんでことをおこし

笑顔で継続しているとだんだんみんなが集まり、その楽しさが大きな波及効果を生むとのこと。

 

  事務局で写真を一緒に
   お撮り頂いた!

我が街を考えるとき、商店街が沢山あり、意見がまとまらないだの言いたがるが

楽しんで数人でいいからそこから、「はじめて、継続する」ことが重要なのだろう。

立地や財政状態、存立経緯などは、それぞれ違うのが当たりまえだ。

しかし、楽しんでその街を好きだという、

「人」がいれば、困難な課題を希望にかえることが出来る。

佐世保への旅は私にとって、とてもいい旅となった。

佐世保の皆様、ありがとうございました。また参ります。

その後は佐賀市へ。

ここもご縁がある、佐賀玉屋の食品部長と会って話した。

地方都市の百貨店は厳しいが、その中で地域の生活者(お客様)

に支持されることをやり続ける重要性などを話した。

その後は佐賀大和インターから一路鹿児島へ。

天気がよく、満月が本当に大きく印象に残った。

高速では、1時間に1回ぐらい、パーキングで休み、鹿児島へ。

帰りの軽自動車の旅も実に楽しかった。

まちづくりは面白いと感じながら、楽しい2日間を過ごせた。

午後11時に鹿児島着。

皆様、ありがとうございました。

また参ります。

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